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街てくミステリー(2)

11月14日の「街てく」研修~
江戸時代の絵図「貞享(じょうきょう)元年1684」を見ながら市内「街てく」、現在の姿をカメラに収めました、、、。

寛永2年(1625)5月15日、弘前藩は江戸幕府年寄衆より「津軽から江戸へ廻船運行を許可」するという「連書奉書」を
受取り青森開港に着手した。(3年前から築港され寛永2年には完成していたとの見解もある)
それと同時に町づくりが進められ、積極的に移住政策をとり寛文11年(1671)に御仮屋が建てられて町の骨格が形づくられた。それから13年後の姿です、、、。
安方、新町、県庁(御仮屋)付近に弘前藩の重要な施設がこの絵図で見られます。

〇貞享元年(1684)の絵図から県庁(御仮屋)、善知鳥
       神社安方の付近を切り取り、重要施設に①~⑨にマーク

                                            図クリックで拡大します
①は新町と昭和通りのスクランブル交差点(新町の木戸)があった場所


②アスパム前の出光ガソリンスタンド当たり、当時は海辺で(沖口番所)あった場所

 
③の県警本部の場所と ④の県庁北棟(旧県図書館跡)は「与力屋敷」と呼ばれた



⑤は県営駐車場(旧市役所)一帯は「御蔵屋敷」と呼ばた


     「御蔵屋敷」は江戸に送る米蔵である。これより15年前の絵図では
     蔵屋敷は善知鳥神社の山門付近にあった。水路を舟で平和公園通
     りの河口付近まで運んだ。
 
明治4年9月青森県誕生したが「御仮屋」の建物がそのまま県庁舎になった


⑦旧松木屋裏は町奉行屋敷があった


⑧善知鳥神社向かい(陸奥新報)に町奉行所があり ⑦の町奉行屋敷から通勤して いた。

⑨には高札場(こうさつば)、善知鳥神社の駐車場左端で大町から安方(越前町)に   通じる道の突き当たりにあった


    高札場(制札場)とは
    禁令などを板札に書き掲示するところ、、、、。 
 
〇この絵図は青森駅前付近です~

                                    絵図クリックで拡大します
 ①は現在の青森駅付近安方の木戸は桝形(ますかた)で敵の直進を防ぐため
   2つの門でできた出入口で、古川から海まで柵が立てられていました。藩主     の行列が新城・油川を経て青森に入るには、桝形を通り安方の木戸から入り    ました。 
 ②の柳川堰は沖館川に流れていました
 ③は沖口(湊口)番所
 ④は古川新田の庄屋
 ⑤は新町の木戸(木戸番がいました)
 ⑥から大浜(油川)へ
 
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プロフィール

ヨシ爺とふう婆

Author:ヨシ爺とふう婆
Yahoo!から引っ越してきました。老後を「趣味」で楽しく暮らそうと始めたブログです。
食べ歩き大好きな自分が青森で訪問したお店や食したメニューを紹介しています。また、ボランテアで観光ガイドをしています。日々、変化していく地元の状況を観光客に伝えようと、今も老頭をフルに使って習得に努めています。

追記:感想はあくまでも素人の自分の嗜好で述べてます。味覚は個人の趣向によって違いますので、批判を帯びたコメントや不適切なコメントは御控え下さるようにお願いします。

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