
街てくミステリー(1)

11月14日(火)は「街てく」研修~青森市市史編纂室「工藤大輔」氏を特別講師にお願いし、青森誕生後の江戸時代の青盛絵図「貞享(じょうきょう)元年1684」を見ながらタイムトラベルしてみました。
〇貞享元年1684の絵図(抜粋)善知鳥・安方・御仮屋付近
絵図クリックで拡大します
いつもガイドしながら考えた~
この道は以前はどんな道だったかな、子供の頃確かここは川が流れてたはず、・・・
善知鳥沼の水(柳川堰)も、どこに流れてたの、今はどうなったの、と疑問でした。
今日は謎解きしてみたいと、青森駅から善知鳥沼まで堰の跡をたどって歩いてみました。
①は柳川堰跡(青森駅向かいの東横イン小路)
②は柳川堰跡(日通向かいの大もりやの小路)
③は柳川堰跡(明月館の小路)
④は金沢堰跡(昭和通り)はアラスカ裏で東と西(柳川堰)に二手に分かれる
⑤はアラスカ裏(一八寿司)の通りで「東へ流れる堰跡」
⑥は柳川堰(一念寺横の通り)
⑦は小野印刷の通りで「東へ流れる堰跡」
⑧は村上病院裏で「東へ流れる堰跡」
⑨善知鳥沼の水は柳川堰として沖館川へ
⑩「東へ流れる堰跡」は現在の「平和公園通りの川」へ流れ出た
⑪は県営駐車場の裏の堰は御蔵の濠へ
⑪栄作堂の横も堰、金沢堰(昭和通り)から旧東奥日報社を通り御仮屋の濠へ
スポンサーサイト