
白馬岳 標高2,932,2m(途中断念)

山行計画 2010年9月11日(土)~14日(火)
予定コース 11日(土)青森駅ー長野駅ー白馬ー栂池高原ー栂池ヒュッテ(泊)12日(日)栂池ヒュッテー天狗原ー白馬大池山荘ー小蓮華山ー三国境ー白馬岳ー白馬山荘(泊)13日(月)白馬山荘ー杓子岳ー白馬槍ヶ岳ー大出原分岐ー槍温泉ー小日向コースー猿倉ー栂池(ペンション・アルプ泊)14日(火)栂池ー八方駅ー八方池山荘ー八方池ー八方池山荘ー八方駅ー白馬ー長野駅ー青森駅
〇山行記録 2010年9月11日(土)天候曇り~12日(日)天候雨
初日、待望の北アルプス白馬三山(白馬岳・杓子岳・槍ヶ岳)登山、メンバーは自分ら夫婦と妻(楓婆)の山仲間(T師匠、Nさん、Mさん)の総勢5名である。自宅を6時出発、6時44分発つがる6号に乗り込み、新幹線を乗り継いで長野駅12時着、その後バスで白馬駅を経由して栂池高原に着いたのが14時30分である。栂池高原からゴンドラ、ロープウェイと乗り継ぎ、初日の宿泊先「栂池ヒュッテ(標高1.900m)」到着が15時30分であった。この日は温泉で疲れを癒し、早めの食事と早い就寝で明日に備えた。
2日目、夜半から降り出した風雨がなかなか収まらない。雨が小ぶりになった5時50分栂池ヒュッテを出発した。よく整備された登山道であるが夜半に降った雨が川のように流れている。このような状態が「天狗原(標高2,180m)」まで続いていた。7時15分着、天狗原は高原湿原で、木道で整備されていた。しかし、ここから足場の悪い安山岩の岩塊が続くルートとなる。スリップに注意しながら慎重に歩を進めた。「乗鞍岳山頂(標高2,469m)」に8時25分着、このころから風雨が強くなり、雷鳴まで轟く始末、岩塊のルートで身を隠す場所もない、暴風雨と雷の恐怖に震えながら下り「白馬大池山荘(標高2,400m)」に到着したのが8時55分であった。山荘は避難登山者で満杯である。自分らは注文したコーヒーで身体を温め、濡れた下着を交換して晴れ間を待った。1時間ほどの休憩でも天候の回復の兆しが全く無く、次々と他の登山者は下山を始めた。自分らもリーダーT師匠の決断で本日の登頂を断念、栂池ヒュッテに引き返すことにした。10時丁度下山開始、帰路も暴風雨と雷の恐怖に耐えた下山である。天狗原を過ぎたあたりから風雨も雷も収まり足元の高原の緑が鮮やかに眼に飛び込んできた。しかし、振り返って見る白馬の頂は不気味に黒い雲に覆われていた。
予定コース 11日(土)青森駅ー長野駅ー白馬ー栂池高原ー栂池ヒュッテ(泊)12日(日)栂池ヒュッテー天狗原ー白馬大池山荘ー小蓮華山ー三国境ー白馬岳ー白馬山荘(泊)13日(月)白馬山荘ー杓子岳ー白馬槍ヶ岳ー大出原分岐ー槍温泉ー小日向コースー猿倉ー栂池(ペンション・アルプ泊)14日(火)栂池ー八方駅ー八方池山荘ー八方池ー八方池山荘ー八方駅ー白馬ー長野駅ー青森駅
〇山行記録 2010年9月11日(土)天候曇り~12日(日)天候雨
初日、待望の北アルプス白馬三山(白馬岳・杓子岳・槍ヶ岳)登山、メンバーは自分ら夫婦と妻(楓婆)の山仲間(T師匠、Nさん、Mさん)の総勢5名である。自宅を6時出発、6時44分発つがる6号に乗り込み、新幹線を乗り継いで長野駅12時着、その後バスで白馬駅を経由して栂池高原に着いたのが14時30分である。栂池高原からゴンドラ、ロープウェイと乗り継ぎ、初日の宿泊先「栂池ヒュッテ(標高1.900m)」到着が15時30分であった。この日は温泉で疲れを癒し、早めの食事と早い就寝で明日に備えた。
2日目、夜半から降り出した風雨がなかなか収まらない。雨が小ぶりになった5時50分栂池ヒュッテを出発した。よく整備された登山道であるが夜半に降った雨が川のように流れている。このような状態が「天狗原(標高2,180m)」まで続いていた。7時15分着、天狗原は高原湿原で、木道で整備されていた。しかし、ここから足場の悪い安山岩の岩塊が続くルートとなる。スリップに注意しながら慎重に歩を進めた。「乗鞍岳山頂(標高2,469m)」に8時25分着、このころから風雨が強くなり、雷鳴まで轟く始末、岩塊のルートで身を隠す場所もない、暴風雨と雷の恐怖に震えながら下り「白馬大池山荘(標高2,400m)」に到着したのが8時55分であった。山荘は避難登山者で満杯である。自分らは注文したコーヒーで身体を温め、濡れた下着を交換して晴れ間を待った。1時間ほどの休憩でも天候の回復の兆しが全く無く、次々と他の登山者は下山を始めた。自分らもリーダーT師匠の決断で本日の登頂を断念、栂池ヒュッテに引き返すことにした。10時丁度下山開始、帰路も暴風雨と雷の恐怖に耐えた下山である。天狗原を過ぎたあたりから風雨も雷も収まり足元の高原の緑が鮮やかに眼に飛び込んできた。しかし、振り返って見る白馬の頂は不気味に黒い雲に覆われていた。
その後、栂池ヒュッテに到着し、買い物をしようと売店に入ったところと偶然にもカウンターに青森から電話が入っていました。訃報でした。妻も私も携帯がバッテリー切れで通話できない状態。引き返してこなければこの連絡は13日か14日の下山まで受けられない可能性がありました。同行者の御了解を得て、自分らはその後の計画を中止し、急いで青森に帰った次第です。T師匠、Nさん、Mさん申し訳ありませんでした。仏事を無事に終え、10月2日で忌明けとなりました。突然の別れで気持ちの整理はまだつきませんが、落ち込んではいられません。中止していた「ブログ」も再開をいたします。これからもよろしくお願いいたします。
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